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日本語がわからない人

昨年暮れに公表された日本財団の調査によると、「学校に通いたくない」という理由から不登校傾向にある中学生は推計33万人で、中学生全体の10人に1人を占めているということです。

 その内訳をみると、年間に1週間以上続く(30日未満の)欠席がある生徒は全体の1.8%、校門や保健室などには行くが教室に入らなかったり給食だけ食べたりする「部分登校」が4.0%、授業は受けていても授業に参加していない「仮面登校」が4.4%とされています。

 これを「多い」と見るか「少ない」と見るかは意見の分かれるところですが、調査によればその理由は「疲れる」(44.9%)、「朝、起きられない」(33.6%)のほか、「授業がよくわからない、ついていけない」(30.0%)、「小学校の時と比べて、良い成績が取れない」(27.7%)、「テストを受けたくない」(26.8%)など学業に関する理由が上位に並び、家庭や友人関係の問題よりも学業に関する問題が目立ったということです。

 高校生になると、学校不適応生徒の主要な選択肢は「中退」ということになってきます。

 文部科学省の「児童生徒の問題行動等生徒指導上の諸問題に関する調査」によると、2015年度の高校中退者数は全国で4万9,263人で中退率は1.4%に及んでいます。勿論、学校によってそのばらつきは大きく、中には卒業するのは入学者のおおよそ3分の2以下という教育困難校も見られるようです。

 主な中退理由としては、学校生活・学業不適応が34.1%、学業不振が7.8%と学業に絡むものが4割以上を占め、中退者の多くが教室の授業についていけていないという現実が浮かび上がってきます。

 実際、公立高校の校長や教育委員として教育現場に携わっている友人の話を聞いても、高校生にもなって簡単な文章が書けないとか読めないとか、地球儀で日本やアメリカがどこにあるかわからないとか、(普段は普通の生活ができているのに)「どうしてこんな簡単なことが分からないの?」と思えるような生徒がかなりの割合でいるということです。

 さらに言えば、そうした生徒の家庭訪問などをすると、その保護者たちも大体同じレベルの理解力である場合が多いという話も併せて聞きました。

 一億総中流の生きてきた我々は、ともすれば日本人は同じ情報であれば同じように理解し大半がそれなりに合理的な結論を導きうると考えがちですが、どうやらそうばかりとも言っていられないのかもしれません。

 確かに、自治会などの地元の寄り合いやPTAの会合などに出席した際、そこでの議論を聞くともなしに聞いていると不思議な気持ちにさせられる時があります。

 参加者の一人一人が全然別のことを話していたり、議論がトンチンカンな方向に行っているのに誰も引き戻そうとしなかったり、それぞれが自分の話ばかりで全体の方向性が議論ができなかったりと、目も当てられない状況になっているのはよくある話です。

 そもそも、人の話を聞いたり文書を読んだりしてもその内容が理解できない人というのが確かに相当な割合でいて、普通の生活を当たり前に送っているんだなというのがこうした局面からよくわかります。

 世の中によくあるそうした状況について1月21日の「週刊プレイボーイ」誌では、作家の橘玲(たちばな・あきら)氏が「日本人の3分の1は日本語が読めない」と題する興味深い一文を寄せています。

 OECD加盟国等24か国・地域が共同し16歳~65歳までの男女個人を対象に文章読解力や数的思考力、ITを活用した問題解決能力などを調べるPIAAC(ピアックProgram for the International Assessment of Adult Competencies)という調査があるそうです。

 橘氏はこの論考で、2016年に行われたこのテストにおいて、(驚くべきことに)日本人のおよそ3分の1が日本語が読めないこと、日本人の3分の1以上が小学校3~4年生の数的思考力しかないこと、パソコンを使った基本的な仕事ができる日本人は1割以下しかいないことなどが明らかになったと指摘しています。

 氏によれば、この結果はAI「東ロボくん」で知られる新井紀子氏らが行った全国2万5000人の中高生を対象とした「基礎的読解力」調査による、「3人に1人が簡単な問題文が読めない」との指摘とも十分整合的だということです。

 これを疑わしいと感じるのは、あなたが知能が高い人たちの集団の中で生活しているから。さらに驚くのは、日本人の成績がこんなに悪いにもかかわらず、先進国のなかでほぼすべての分野で1位であることだと氏は言います。

 OECDに加盟する他の国々の状況を平均すると、先進国の成人の約半分(48.8%)は簡単な文章が読めない。先進国の成人の半分以上(52%)は小学校3~4年生の数的思考力しかない。先進国の成人のうち、パソコンを使った基本的な仕事ができるのは20人に1人(5.8%)しかいないということです。

 橘氏は、この調査結果の特筆すべきポイントとして、PIAACの成績(得点)が、ヨーロッパの南にいくほど低く、北に行くほど高くなることを挙げています。

 ユーロ危機の際に、得点の低い南部のPIGS(ポルトガル、イタリア、ギリシア、スペイン)では財政が悪化し失業率が上がり右派や左派のポピュリズムに翻弄されたのに対し、北欧など得点の高い国々では、排外主義的な政党が勢力を伸ばしてはいるものの失業率は低く社会は安定していたということです。

 状況の変化に正しく向き合い、理解し、合理的な判断を行えるだけの知的な土壌が国民の間にあったかどうかが、こうした結果の違いにつながったのではないかというのが橘氏の見解です。

 「仕事に必要な問題解決能力(≒知能)」は個人によってばらつきがあると同時に、国によって大きく異なる。そして、これが私たちが直面している「事実(ファクト)」だと氏はこの論考を結んでいます。

 確かに、それぞれの国が持つ国民性や生活文化などがそこに暮らす人々の経済的豊かさや幸福度に与える影響は大きいことでしょう。

 そこに加えて、(知的能力が全てだとは言いませんが)国民的な理解力や合理性といった問題解決能力の違いを経済や社会の動きの論拠(のひとつ)とする橘氏の視点を、私も改めて興味深く受け止めたところです。






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